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豊島簡易裁判所 昭和62年(ろ)254号 判決 1989年7月14日

主文

被告人は無罪

理由

一1  本件公訴事実は「被告人は、昭和六二年四月一五日午後一一時ころから翌一六日午前七時ころまでの間、東京都板橋区<住所省略>A病院(院長A)において、金員窃取の目的で、同病院事務室及び薬局内の机の引出しを開け、小型金庫をこじ開けるなどして金員を物色したが、これが発見するに至らず、その目的を遂げなかったものである。」というものである。

2  <証拠>によると、本件公訴事実中被告人の犯行であること以外の事実については、これを認めることができる。

ところで、本件記録によると、被告人は捜査段階から終始一貫本件犯行を否認していることが明らかである。そして、本件犯行が被告人の所為によるものとする直接証拠はないが、本件犯行を被告人と結びつける証拠として、ゼラチン紙一枚(昭和六三年押第二号の二(以下「本件ゼラチン紙」という。))及びこれに転写されている指紋(以下「本件指紋」という。)は、被告人の左手中指の指紋と符合する旨のB作成の鑑定書(以下「鑑定書」という。)が存在する。

検察官は、本件指紋は前記A病院(以下「本件現場」という。)の麻薬金庫の外扉裏側から発見採取されたものであると主張し、弁護人は、本件指紋は、本件現場から採取されたものでなく、昭和六二年四月一〇日当時被告人の住居であった東京都板橋区<住所省略>第三××マンション(以下「第三××マンション」という。)から採取されたものであると主張するので、まずこの点について判断し、次で弁護人主張の被告人のアリバイの存否及び被告人の生活関係等について考察することとする。

二  本件指紋について

1  本件ゼラチン紙が鑑定書に添付されるまでの経過について

<証拠>を総合すると次の事実を認めることができる。

(一)  Cは、昭和六二年四月一〇日第三××マンション一一〇号室で指紋採取活動を行った。その際、同室洋室西側小窓外側ガラス面に縦五・八センチメートルないし七センチメートル位、横六・八センチメートルないし一二センチメートル位のゼラチン紙(原紙の四分の一位ないし半分位)のうち透明部分を貼った後、これをはがして黒紙に貼り戻し、このゼラチン紙をゼラ袋に入れた上臨場鞄(昭和六三年押第二号の一(以下「本件臨場鞄」という。))に納めて志村警察署に持ち帰った。

(二)  Cは、同月一六日本件現場で指紋採取活動を行い、複数のゼラチン紙に各指紋を採取し、これをゼラ袋に入れた上本件臨場鞄に納めて、志村警察署に持ち帰った。

(三)  同月二三日ころ、志村警察署から警視庁鑑識課に、四枚のゼラチン紙が関係者指紋とともに送付された。

(四)  同月二七日ころ、警視庁鑑識課は、四枚のゼラチン紙のうち一枚に転写されている指紋を三号指紋、三枚に転写されている指紋を各四号指紋と選別し、三号指紋を写真撮影した後これを同課の保管箱に保管した。

(五)  同年九月六日づけで、志村警察署長から警視庁に鑑定嘱託があった。その後、三号指紋として選別された右(四)記載のゼラチン紙は、保管箱から取り出され、遺留指紋票と窓をあけた黒紙との間に貼付された上写真係に回され、約五倍の写真が作成された後、その写真などとともに鑑定官に提出された。

(六)  鑑定官Bは、鑑定書を作成し、これに、資料(二)として右(五)に記載のゼラチン紙即ち、本件ゼラチン紙を添付した。

2  本件指紋が本件現場の麻薬金庫から採取されたものであるかどうかについて

(一)  Cは、当公判廷で、志村警察署の警察官である。昭和六二年四月一五日当直であった。同月一六日一一〇番通報によりA病院に泥棒がはいったと知らされた。Dと二人で臨場鞄を持参し、午前七時四〇分ころA病院に臨場した。Dが事務長Pから被害の状況を聞いた。私とDは事務長の案内で部屋を見て回った。事務長は被害はないと言っていた。麻薬金庫は、ドアが壊されていた。その後用務員と一緒に外へ出た。外からガラスの状況を見てから事務室に戻った。そして、最初に写真全部をとった。次に、指紋採取活動をした。まず、麻薬金庫から始めた。一枚目の扉の裏側に鮮明な指紋があったのでゼラチン紙に転写した。直ちに、そのゼラチン紙裏に<1>の数字を入れ隅切りをした上、それをゼラ袋に仕舞って本件臨場鞄の上に置いた。麻薬金庫からは外にはいいのが出なかった。出たのは一個だけだった。次に薬局の引出、受付けの引出等をやり、次に事務室へ行き、レジ・冷蔵庫をやり、その後事務室の机をやったと思う。机は左側から右回りにした。三番目の机をやっているときDがきて「まだ終らないのか。」と尋ねた。左隣のこの机が残っていると答えるとDはその机の粉振りを手伝ってくれた。その直後、私は、私と並んで粉振りをしているDに対し、「金庫からいいのが出ている。」と伝えた。私が粉を振った三番目の机から指紋らしいのが出たので、それをゼラチン紙に転写した。三個あった。それで、それらのゼラチン紙裏面に<2>・<3>・<4>のしるしをその場で、その順に従って書き、隅切りもしてこれらを、麻薬金庫から取ったゼラチン紙を入れたゼラ袋の中に入れた。指紋採取は、机が一番最後である。

今示された本件指紋は、本件現場の麻薬金庫から採取したものである。その根拠は、裏面の記載の数字、よく出ていること及び第二回公判期日の二、三日前に、証人テストということで検察庁へ行き、検察官から、鑑定書添付の本件ゼラチン紙はどこから採取したのか尋ねられたので、私は、それは麻薬金庫からである。採取直後裏面に<1>の符号をつけたので、鑑定書に添付されているゼラチン紙を台紙からはがしてみれば、裏面に<1>の符号があるかどうかわかる旨答え、確認のため検察官の面前ではがしてみたところ、本件ゼラチン紙の裏面には<1>の符号が書かれてあることを確認したことである。しかし、今ここで、本件指紋の指紋部分だけ見て、これが当時現場の麻薬金庫から採取されたものであるといえないし、また、裏面の数字だけ見て、これが当日つけた数字だという特徴もない旨供述している。

(二)  Eは、当公判廷で、志村警察署の警察官である。昭和六二年四月一六日午前九時から一〇時までの間に、鑑識係の部屋で、Cから、いい指紋が取れたから送って貰いたいと四個の指紋と協力者指紋が提出された。その時その四個の現場指紋は採取袋(ゼラ袋)に入れられてあり、メモも持ってきた。現場指紋のゼラチン紙の裏には<1>・<2>・<3>・<4>の数字が書かれてあった。持ち込まれた指紋のうち裏面に<1>と書かれてあるものは、目で見てある程度奇麗な指紋であったが、<2>・<3>・<4>は擦れたりしていて特定できる指紋ではなかった。今示された本件ゼラチン紙がCが持ち込んだ裏面に<1>と書かれたものであることに間違いない。その理由は、Cから「いい指紋が取れたよ。」と言われたので印象に残っていること、擦れたところがあり、それが一個所だけでなく数個あるので、そういう状態からあの当時採取してきたものであることを思い浮べたこと、裏面に<1>と書かれてあることからであるが、一番大きな理由は、私が警視庁に送った指紋だとして目の前にあるからそう思うのである。裏面の<1>の記載だけで麻薬金庫から取れたものであるかどうかわからない旨供述している。

(三)  Dは、当公判廷で、警察官である。昭和六二年四月一六日は、志村警察署に勤務していた。その日Cと本件現場に臨場した。二人の分担は、特に決めなかったが、私は事情聴取と臨場メモの作成を担当し、Cは写真撮影と鑑識活動を担当した。第一発見者の用務員から発見時の状況を聞いてから、事務長のPに被害の有無を尋ね、同人の案内で現場を見て回った。麻薬金庫が壊れていたので、事務長に麻薬が盗られていないか尋ねると、事務長が今のところ盗られていないと答えた。で、病院側では一応見て調べたのかなという風に感じた。その後、用務員の案内で外へ出た。Cも一緒だった。それから事務室に戻り、Cに写真を取らせた。私は、物色状況の観察を始め、Cは鑑識活動に入った。Cは写真を撮り終ってから臨場鞄を持って受付の方へ行った。私は事務室にいて受付の方を見ていたが、Cの姿が見えなかったので、Cは薬局の方に入ったものと思った。私はレジスターから観察を始め、次に受付けに入った。そこからは、戸が開いていて、薬局の方が見えるが、見たら、Cが麻薬金庫のところに後向きになりしゃがんでいた。これは、私が捜査活動をしてすぐのことである。次に、私は事務室の状況を観察し、受付から薬局という順に順次詳しく観察し、四〇分位かかって臨場メモの作成をした。私が、臨場メモを書き終えたとき、Cは事務室の方で事務机に粉を振っていたので、まだ終っていないのかと聞いたら、Cは、レジスターのあがっている机が終っていないと答えたので、私は鑑識活動を早く終らせるため、その机の粉振りの手伝をした。私の右隣がCで隣同志でしゃべりながら作業をしていたときCから「金庫から出たよ。」という話を聞いた。そこでは、私の方はゼラチン紙に転写できるような鮮明な指紋は出なかったが、Cの方は、何かゼラチン紙を貼って取っているようであった。Cはあまりいいのが出ないような話をしていた。指紋採取活動は、その事務室の机で終了した。私は、鑑識活動が全部終ったので事務室にいる人に被害があるかないか調べてくれと言った。さらに、麻薬が本当になくなっていないか事務長に麻薬をもう一度調べてくれと言った。事務長は簿冊をもってきて確認した。点検の結果なくなっているものはないということであった。事務長からは預金通帳の話を聞いていない。事務長から麻薬金庫や麻薬に触ってよいか聞かれたのでよいと答えた記憶もない。当時のことはそんなに鮮明に覚えていなくて、忘れていたが、証人に出廷することになったのでCと本件を思い出すため話合った。しかし、Cの話に合わせている部分はない旨供述している。

(四)  Pは、当公判廷で、A病院の事務長である。昭和六二年四月一六日午前七時半ころ出勤し、泥棒が入ったと聞かされた。私にとって、職員から個人的に預っている預金通帳がぬすまれなかったかということ、及び麻薬がぬすまれなかったかということが最大の関心事だった。私は、警察の人が指紋を採取しているのではないかと思われる行為を見た。丸い毛のついたようなもので、軽く叩いて何かをぺたっと貼りつけ、はがすようなことをしているので、指紋を採取しているのではないかと思ったのである。私は、警察の人の指紋を取る行為を最後まで付いて見ていた。そのような行為は、私の記憶としては、最初は事務室で窓の壊れているところ、窓下の机、レジスターなど数か所であった。その次が多分受付、それから受付裏の薬局の順だったと思う。通常事務室、受付、薬局というのが通り道なので、多分、そういう順ではなかったかと思う。また、二人の警察の人が同じ部屋の中で毛のはえた丸い物を叩く作業をしているのを見た記憶はない。

警察の人から、触らないようにとの指示があった。事務室で指紋をとる行為が全部終ったときだったと思うが、触ってよいと言われた。私は通帳がなくなっていないか調べた。全部机の上にあった。その後薬局の捜査が終るのを待っていた。早く麻薬の有無を確認したいという気持で待っていた。そのうち薬局の捜査が終り、警察の人が触ってよいと言ったので、私は事務の者と現在ある麻薬の数と台帳とを比較した。異常はなかった。ところで、私は、麻薬と預金通帳を調べたが、そのどちらが先であったかと念を押されると、今ははっきりしないが、私の記憶としては、多分、通帳の方が先だったと思う。これは想像でなく記憶にもとづくものである。麻薬と台帳の検討をした後、警察の人が事務室や受付でもう一回指紋をとったという記憶はない。薬局の捜査が終ってから警察の人から指紋をとらせて下さいと言われ手のひらにインクをつけて紙に押した。

警察の人は、現場の写真撮影もしたが、多分それは指紋採取活動をする前であったと思う。写真撮影の順番は、事務室の方から始まり、最後は薬局の方であったと思う。指紋採取活動の順番もこれと同じだろうと思う旨供述している。

(五)  Fは、当公判廷で、A病院の理事である。元警察官をしていた。警察官在職当時指紋を専門に取ったことはないが、指紋採取しているのを見たことがある。昭和六二年四月一六日午前七時前後ころGから事務所が荒らされた旨の電話があり、その二、三分後に出勤した。その後四、五分位してから私服二人、制服一人の警察官が臨場し、写真をとったり指紋をとったりした。指紋採取活動は、具体的には、どこから始めたかつぶさには分からないが、最初は、事務室の壊れたガラスのところ、次に事務室の机のところという気がする。その後は受付の方へ行き、それから薬局の方に入って盛んに指紋をとっているのを見た。最初のところは、いなかったが、警察官が薬局で指紋を取っているとき、私は隣の事務局長室へ行った。私は事務長が通帳など盗られた物があったかなかったか確認しているのを見た。その後、薬局の中で警察官の指紋をとろうとしている行為や事務長かだれかが、麻薬と帳簿をチェックしているのを見た。私が見た警察の一連の捜査の最後は薬局内の捜査である。私が事務局長室にいたとき、警察の人が終ったということで来たのでお茶を出した気がする。警察の人が指紋を取るため、ぺたっと貼ってはがすことをした後、何かを書き込んでいることがあったかどうかわからない。見ていても分からなかったのである。写真撮影は、指紋採取前に行われたが、撮影の順序はわからない旨供述している。

(六)  C、E、Dはいずれも志村警察署の警察官(Dは当時)であるが、同人らの前記供述によるときは、本件指紋は、麻薬金庫から採取されたのではないかと一応考えられる。しかし、P、Fの前記供述によると麻薬金庫からの指紋採取は、最後の段階で行われたのではないかとの疑念が生ずる。殊に、Pは「職員から預っていた預金通帳と麻薬がぬすまれていないかが、最大な関心事だった。警察の人から触らないようにとの指示があった。事務室での指紋採取行為が終ったときと思うが、触ってもよいと言われた。調べたら通帳は全部あった。その後薬局の捜査の終るのを待っていた。早く麻薬の有無を確認したいという気持で待っていたら警察の人が触ってよいと言った。事務の者と現在ある麻薬数と台帳を比較した。異常はなかった。」というのが私の記憶である趣旨の供述は具体的で自然である。もっとも、Pは、反対尋問に対し、警察の人の写真撮影は、事務室から始まり、最後は薬局だったと思う。指紋採取の順序もこれと同じだろうと思う旨述べている。しかし、司法巡査C作成の昭和六三年六月一〇日付け写真撮影報告書(この写真のネガが、本件現場で撮影されたときのものでなく、その後焼付けされた写真を再撮影するなどして改めて作成したものとは考えない。)によれば、写真撮影の順序は薬局の方が最初と認められるから、指紋採取もこの順序だとすると薬局での指紋採取が最初ということになるが、Pは再主尋問において、記憶としては前記のとおり麻薬より先に通帳の方を調べた旨述べており、これに、Fの指紋採取順序に関する供述を加えて考えると麻薬金庫からの指紋採取は最終段階において行われた可能性が十分あると認められる。

本件指紋が指紋採取活動の最終段階で採取されたとすると、Cは、指紋採取後ゼラチン紙裏に<1>から<4>の符号を採取の都度その場でその順につけたと供述しているので、裏面に<1>と記載されている本件ゼラチン紙の本件指紋は、麻薬金庫以外のところから採取されたことになること、本件ゼラチン紙には、犯罪捜査規範(昭和三二年七月一一日国家公安委員会規則二号)九二号が「……現場指紋……を発見したときは、年月日時および場所を記載した紙片に被害者または第三者の署名を求め、……証拠力の保全に努めなければならない。」と例示して資料を発見したときの措置を規定しているが、この規定が期待する証拠力の保全の措置がとられていないこと(本件ゼラチン紙の裏面には「採取月日」・「事件名」・「採取場所」・「被採取物」・「採取者名印」・「立会人名印」の各欄が設けられてあり、そこに例えば、終始側にいたPの署名、押印を容易に得ることができたのにそれが行われなかった。)Cが本件指紋部分だけ見て当時麻薬金庫から採取したものであるかどうかいえない旨述べていることEが裏面<1>の記載だけで麻薬金庫から取れたものであるかどうかわからない、一番大きな理由は、私が警視庁に送った指紋として目の前にあるからそう思うのである旨供述していることを総合すると前記Cの本件指紋が麻薬金庫から採取した旨の供述やこれを裏づけるD、Eの各供述はにわかに採用することができない。そして、他に本件指紋が麻薬金庫から採取されたという証拠はない。

結局本件指紋は、麻薬金庫から採取されたものであるとの点についての証明は十分でない。また、本件指紋が事務室の机ないしその他の本件現場から採取されたという証拠もない。

3  本件指紋が第三××マンションから採取されたものであるかどうかについて

(一)  被告人は、第一九回公判期日において、昭和六二年四月九日以前に第三××マンション一一〇号室の窓にさわったことがある。子供ができたことがわかり、当時自分の住んでいた一〇八号室は一部屋で狭いので二部屋ある一一〇号室を見たかった。一一〇号室は、その数か月位前から空き家であった。さわったのは婚姻届を出した同年三月六日ころで時間は夜の七時か七時半ころであった。さわったところは、上の小窓で鍵のところを中心にして左側のガラスの右の方である。裁判所が行った検証の際残っていた指紋採取したゼラチン紙跡のところである。はっきりしないが、左手の掌を小窓の左側中央近くの鍵のついているあたりを押しつけ、擦ってすこしあけ、隙間ができたところに手を入れ小窓が開くところまであけ、そして小窓から手を入れて下のガラス窓もあけた。開けたら恐怖心が起き恐くなり、そのままガラス窓も小窓も閉めて自宅に帰った。同年四月九日の夜から翌一〇日の朝にかけ一一〇号室の窓を他人がさわったとか叩いたとかいうことがあったとあとで聞いたが、その後私が一一〇号室の窓にさわったことはない。私は、一一〇号室の窓にさわったことを、起訴後警察のH係長に話をした旨供述している。

(二)  Cは、第二回公判期日において、昭和六二年四月一六日朝A病院で指紋採取した前後二、三日に指紋を採取したことはないが、六日に一回当直なので、六日前辺りにあったかも知れない。被告人の住いがどの辺かわかっているが、その近くで指紋採取活動をしたことはない。その近くで事件があったことも覚えていない旨、第六回公判期日において、私は、同年春辺り被告人の当時の住いである第三××マンション付近又はその建物で、何か事件があって捜査に行った記憶はない旨、第一四回公判期日において、A病院関係で二回証言したが一部思い違をしていた点がある。これまで第三××マンションに臨場した記憶はないと述べたが、裁判所から照会文書がきて、備忘録を見たり、一一〇番処理簿を調べたり、現場へ行ったりした結果、私が第三××マンションに臨場した事実を思い出した。即ち、私は同年四月一〇日午前一時四〇分ころ、一一〇番通報により当時被告人が居住していた第三××マンションの一一〇号室に、I及びJとともに臨場した。その時持参した臨場鞄は、本件現場であるA病院に臨場したとき持参した臨場鞄(本件臨場鞄)と同一である。

Iの質問に対し、Kは、四畳半の高窓を指差し、その窓を叩かれガタガタした。それで怖くなり一一〇番した旨述べた。私はそれを傍らで聞いていて備忘録に書いた。その後Jとともに建物の外に回った。私がカメラと本件臨場鞄を持ち、Jがライトを持って外へ出た。足跡を調べた後四畳半窓外側を撮影した。次に、指紋採取活動をした。Jにライトをあてさせ、四畳半高窓全部にLA粉末を振った。指紋らしいものが出なかったが、向って左側窓右上部に一個所掌紋らしいものがあったので、確認の意味でそこにゼラチン紙を貼った。普通のゼラチン紙の原版は約一二センチメートル掛ける一四センチメートル位であるが、その半分位のものを貼ったのである。そして、それを黒い紙に貼って見たところ、掌絞らしいものがすこし残っていたが、対照に回せるようなものでなかった。で、そのゼラチン紙にはしるしや番号をつけなかった。一枚しか取らなかったので混ざる心配がなかったからである。そのゼラチン紙はゼラ袋に入れ本件臨場鞄の中に入れた。入れた場所は、鞄の蓋のポケットで、手前のポケットだったと思う。その後部屋に戻ったら、IとKが最初いたところにいた。そこでKに指紋採取の結果について話をしなかった。Iに対しても、駄目だった位は言ったが、外の話はしなかった。Jも指紋の話をしなかった。私がKに対し冗談にせよ指紋が一杯出たぞということは言っていないし、外の者が、そのようなことを言ったのを聞いたことがない。

帰署後鑑識係の部屋へ行き、本件臨場鞄からゼラ袋を取り出し、その中からゼラチン紙を抜き、空になったゼラ袋は本件臨場鞄のポケットに戻し、今一度抜き取ったゼラチン紙を確認して、これを大部屋のポリバケツの中に捨てた旨、第一六回公判期日において本件指紋は、第三××マンションから採取したものではない。その理由は、本件ゼラチン紙の大きさが違うこと、第三××マンションから採取したものは、本件指紋のように鮮明に出ていなかったことからである旨各供述している。

(三)  Jは、当公判廷で、私は、志村警察署の警察官である。Cの指示で同人が第三××マンション一一〇号室外窓ガラスを見た際そこにライトをあてた。Cは、臨場鞄からはけと粉を出し高窓左右二枚のガラス戸全部に粉を振った。私には指紋らしいものは見えなかったが、Cは、粉を振り、その全体をよく見てからゼラチン紙を貼った。その場所は高窓の向って左側である。そして、Cはゼラチン紙をはいで、それを黒い台紙に貼り、よく確認していた。私は、そこにライトをあてていたが、私が見たところでは、指紋が全然取れていないと思われた。Cは「駄目だなァ。」と自分に言いきかせるように言っていた。Cはそのゼラチン紙を臨場鞄の中に仕舞った。私はライトをあてながら仕舞うところを見ていたのである。

私は、その日Kに指紋の話をしたことはないし、Kに指紋の話をしているのを聞いたこともない旨供述している。

(四)  Iは、当公判廷で、志村警察署の警察官である。昭和六二年四月一〇日一一〇番通報で第三××マンション一一〇号室にC及びJと臨場した。私は同所でKから住所氏名などを聞いてから、被害場所、被害の状況を聞いたところ、Kは寝ていたところ、高窓を叩かれたとか音がしたとかのぞかれたとかいろいろ話をし、その高窓のところを指差して教えてくれた。C、Jらもその話を聞いていたが、その途中からこの二人は照明具、カメラ、鑑識鞄を持って外へ行った。私は、C、Jが外で指紋を取ったとかその結果はどうであったのかは見ていないのでわからない。一〇分か一五分位して外から帰ってきた二人から、指紋を取ったとか取らなかったとかいう報告は受けていない。また、私は二人が帰ってきてから「指紋は一杯ついていたぞ。」という話をしたことを聞いていない旨供述している。

(五)  Kは、当公判廷及び当裁判所が昭和六三年七月六日施行した検証の際証人として出頭したが、公判廷で、私は昭和六二年四月上旬ころの夜中の一時か一時過ぎころ、第三××マンション一一〇号室から一一〇番に電話した。夜中に私の部屋の上の小窓が開けられて、手を入れられ手を下にかけられそうになったからである。電話すると複数の警察官がすぐきてくれた。そのうちの一人か二人の警察官から、一一〇号室で事情を聞かれた。警察官が写真をとるためフラッシュをたいたとか指紋をとるためライトを照らしていたとかはけで粉をつけているとかいうところは見ていない。ただ、警察官が私の部屋で「指紋が一杯ついているね。」とか言っていた。どの警察官がそう言ったのか覚えていない。それは、私がいろいろな事情をIに話しているときと思うが「指紋が一杯ついていても何もされていないし、ただの痴漢みたいのあれだね。」とか言われた感じだったと思う。とにかく「指紋が一杯ついていますよ。」と言われたことは確かである。警察官が帰ってから窓を見たところ、ガラスに白い粉がつき何か跡がついていたので指紋でも取ったのかなと思った。右跡の大きさは、これ位(縦約五・五センチメートル、横約八・三センチメートル位の大きさを図示した。)と思うが、今本件ゼラチン紙を見せられると、大体これ位であったと思う旨供述し、また、検証現場での証人尋問調書には右跡の大きさにつき、検証の際指示した大きさ(縦約六センチメートル、横約一二センチメートル)であった旨記載されている。

(六)  当裁判所の昭和六三年七月六日施行の検証調書の記載によれば、第三××マンション一一〇号室洋室(四・五畳)西側小窓の外側ガラス面に縦約七・五センチメートル横約一二・七センチメートルの何か物を貼ってはがしたといわれればそのようにも認識できる痕跡が存在し、その一辺の長さの長い方が上に貼付されたと認められる。

(七)  Eは当公判廷で、備忘録は捜査員が所持している。Cも持っていると思う。備忘録の作成は義務づけられていないが、犯罪捜査規範に備忘録の項があると思う旨供述している。

(八)  被告人は右(一)記載のとおり一一〇号室の内部を見たかったので、同室の小窓のガラス戸に左手の掌を触れた旨供述している。部屋を見たかったのならば、管理人に話をして見せて貰うこともできたのではないかと思われるし、休日の昼間見てもよさそうな気もし、その行為に多少の不自然さが感じられる。しかし、被告人がそのようなことをすることがあり得ないことではないし、起訴後志村警察署のH係長に一一〇号室の窓にさわった旨話をしていることも考えると、被告人の右供述が到底措信できないとする検察官の主張には賛同しない。そうすると、Cが一一〇号室で指紋採取活動をする前に、被告人の左手中指の指紋が右小窓のガラス戸に付着(掌で戸をあければ指紋も付着することが容易に考えられる。)していた可能性がないとは言い切れないことになる。

Cは、本件につき、当公判廷に証人として前記のとおり四回出廷しているが、K方に一一〇番通報により臨場したことを第三回目に出廷して始めて供述し、そのことにつき、第一回目、第二回目に弁護人から尋問があったがすっかり忘れていた。今度思い出したのは、裁判所から一一〇番通報によりK方に臨場した警察官などにつき照会文書がきたので、備忘録を見たり、当時臨場した者に尋ねて確かめたりしたからであるとしているが、犯罪捜査規範一三条に備忘録についての定めもあり、自分でもそれを作成していたのであるから、弁護人からの右尋問直後すくなくとも第二回目の尋問直後には、これを見てその事実の有無を調査すべきであり、そうすれば、裁判所からの照会が行く前に第三××マンション臨場の事実に気づいたはずである。裁判所の照会が行くまでそれをしなかったことについては、不注意であるとのそしりを免れず、弁護人が、証人として出廷したCに対し、C自身が指紋採取しているので都合が悪いとかそういうことでも考えたのではないかとの問を発し、また弁論で、意識して隠そうとしたことは明らかであり、Cの第三××マンションでは指紋転写できなかった旨の供述は全く信用できない旨主張するのも無理からぬことと思われる。

第三××マンションでCによって指紋採取活動が行われたこと、その場所は一一〇号室洋間(四・五畳)西側小窓の外側ガラス面であることは明らかである。また、そのとき貼付されたゼラチン紙の大きさは、検証の際の痕跡と同じのとすれば、縦約七・五センチメートル横約一二・七センチメートルであり、Kの当公判廷における供述どおりとすれば、縦約五・五センチメートル横約八・三センチメートルか、本件ゼラチン紙と同一(原紙の約四分の一)であり、Kに対する当裁判所の証人尋問調書どおりだとすれば縦約六センチメートル横約一二センチメートルであることになる。Cはそこでは不鮮明な掌絞らしいものしか採取しなかった。これは帰署後大部屋のポリバケツの中に捨てた。当日Kのところで指紋が沢山ついていたなど指紋の話は全く出なかったと供述しており、J及びIもKのところで指紋の話は出なかったと供述している。しかし、Kは「指紋が一杯ついていた。」旨警察官から聞いたと供述し、その供述は、前記のとおり具体的で説得力がある上、特にKと被告人及びその家族との間に特別の利害関係も認められないし、一一〇番通報はKにとって重大事件であったことなどから、Kは指紋に関する発言を鮮明に記憶してこれを持続していたと認められ、このKの供述の信憑性は高く、これに反するC、J及びIの供述は採用することができない。そうすると第三××マンションで鮮明な指紋が採取され、その指紋が被告人の指紋である可能性が十分ある。ところで、本件ゼラチン紙の大きさは縦約六・八センチメートル、横約五・八センチメートルであるから、K方で貼られたゼラチン紙が、仮に、原版の半分位のものであったとするとその又約半分(原版の約四分の一)ということになる。

Cは、当公判廷で、本件ゼラチン紙とK方で貼付したゼラチン紙の大きさが違う。自分は採取後ゼラチン紙を切り詰めることはしない旨供述し、Eも当公判廷でずれた部分だけ切り落すことはあっても大きく切り詰めることはしない旨供述しているが、本件ゼラチン紙の裏面を見るとそこに印刷されている大枠の外の白い部分が全くないので、K方で採取されたゼラチン紙がどこかで切り詰められた可能性がある。また、K方で貼られたゼラチン紙がKの当公判廷における供述どおりの大きさだとすると概ね本件ゼラチン紙の大きさと同じになる。次に本件ゼラチン紙の裏面に<1>の記載があるが、この記載は、前記のとおり、本件指紋が麻薬金庫から採取されたものであるとの証明が十分でないことから、同金庫前以外のところでされた疑いも生じてくる。Cがポリバケツに捨てたというゼラチン紙も存在しないし、捨てた現場の目撃者もいない。Eが当公判廷で常時本件臨場鞄を点検しているが、残留ゼラチン紙があったことはない旨供述しているが、多忙のときは、採取指紋すら、速かに、警視庁に送付しないで何日分をまとめて送付する扱いもされているし、現に本件の場合でも、採取後約一週間を経て送付されている位であるから、果して、本件臨場鞄の内部を毎日確実に点検していたかどうか疑いがある。そうすると、本件現場に臨場の際、本件臨場鞄に第三××マンションで採取されたゼラチン紙が残った侭となっていて、それがA病院で採取された複数のゼラチン紙と混同された後、どこかで裏面に<1>と記載され、それが本件ゼラチン紙より大きかったときは、かなりの大きさで切り詰められ(もし、K方で貼付されたゼラチン紙がKの当公判廷の供述どおりだとすると大きく切り詰めることはない。)た上前記1の(三)以下の経過をたどって本件ゼラチン紙として鑑定書に添付されるに至った可能性も考えられる。

なお、検察官は、Bの当公判廷における鑑定書添付の本件指紋の約五倍大に拡大した写真は、右の方が写っていて、上の方が擦れたような形になっている旨の供述から、指先から指の根元方向つまり左方に向け力が加ったことが推認され、小窓が右方に開くものであるから指圧の加わる方向とは逆になるこの点でも本件指紋が第三××マンションから採取されたものであるとの被告人の主張の矛盾は明白であると主張するが、弁護人主張のように指紋の上から更に触れることによっても指紋が擦れることも考えられるから検察官の右主張には、にわかに、左袒しない。

要するに、本件指紋の採取場所をA病院か第三××マンション一一〇号室の小窓かの何れかであると限定して考えた場合においては、寧ろ本件指紋は、第三××マンション一一〇号室で採取された蓋然性の方が高いというべきである。

三  被告人のアリバイについて

弁護人は、被告人は本件犯行時には第三××マンションの当時の被告人の自宅で就寝していた旨主張するので、以下アリバイについて検討する。

1  証人L(以下「L」という。)は、当公判廷で、昭和六二年四月一五日被告人は夜七時ころ勤務先から帰宅し、私とともに夕食をとった。その時私は被告人にMが母親学級にこなかった旨話をした。そして、夜九時ころ中森明菜主演のドラマ「ベスト・フレンド」を見た。この番組が終ってから、被告人は夜一一時過ぎ位に布団に入って就寝した。私は夜中の一二時ころ被告人の寝ている布団に入って就寝した。被告人は上半身裸で下はパンツだけであり、私は半袖のTシャツと下にショートパンツをはいていた。翌日午前五時に起き御飯のジャーのスイッチを入れまた被告人と一緒にねた。被告人は本件犯行のあった四月一五日夜一一時から翌一六日朝八時ころまで自宅の布団の中にいてその間外出したことはないと思う。私は検察官に対し、私もぐっすりねてしまう方で、小さな地震位では目がさめない旨述べていたが、そういうことがあっても、被告人が布団に入ってくればわかる旨述べており、被告人も捜査当初から一貫して、一五日午後一一時ころから翌日午前七時ころまでほとんど寝ていた旨供述している。

2  Lの当公判廷における供述は、その態度、内容、母子手帳、家計簿の記載及び検察官に対し「私もぐっすりねてしまう方で小さな地震位では目がさめない。」旨一見被告人に不利と思われる供述もしていることなどをも併せ考えると、素直でありのままされていると認められ、被告人のためことさら事実を曲げて述べているとは考えられず、自分の記憶を正しく述べていると認められる。ところで、Lは、夜中の一二時に寝ている被告人の布団の中に入って眠り、明け方の五時ころ一たん目をさまし、被告人の寝ている布団の中から出て御飯のスイッチを入れているのであるから、その間約五時間だけは眠っていて被告人を見ていないことになる。本件犯行が被告人に結びつくとすると、被告人がこの時間帯にLと一つの布団で寝ていた床から抜け出し身仕度をして本件現場に赴き、犯行を敢行した後帰宅して再び上半身裸となってLの寝ている布団の中に入ったが、Lは、それに気づかなかったことになる。確かに、Lは、自分でも認めるようにぐっすり寝てしまう方であるから、そういうことも一応考えられる。しかし、一つの布団の中で寝ていた被告人がそこから抜け出して身仕度をして外出し、又帰宅して上半身裸となって布団の中に入ったのにLが全く気づかなかったとすることもやや不自然な感がする。Lが前記のとおり、「被告人が布団の中に入ってくればわかる。」旨供述していることもうなずけるところである。

要するに、被告人のアリバイが全く虚構であるとも断じ難いので、その成立の可能性を否定し去ることもまたできないというべきである。

四  被告人の生活関係等

1  <証拠>を総合すると別表の事実が認められる。

2  被告人は、中学校卒業後、別表の経過をたどってN運輸株式会社に勤務して今日に至ったが、その間少年時代に勤務先から金銭を盗んだことで一回家庭裁判所に送致され審判不開始の処分を受けたが、その外は非行歴はなく、勿論前科はない。ある時期勤務先を転々とかえたことはあったが、現在は、N運輸株式会社で、遅刻こそ大部あるものの、三月一日から五月一六日までの勤務状況は、病気欠勤が三月に二日間、私事欠勤が五月に二日間(これは結婚式の翌日と翌々日)あるだけであるから、真面目に働いていたと認められるし、収入も手取り約二〇万円であり、健全な社会生活を営んでいたものであると認められる。本件事件当時妻Lは妊娠七か月で結婚式も間近に控えていて、結婚費用についても、出産費用についても被告人夫婦の両親などが支出することになっており、新婚旅行の予定もなく、他に多額な金銭を必要とする理由もなかったと思われる。これらのことからも、被告人が本件現場のガラス窓を破壊して侵入し、事務室、受付、薬局を洗いざらい物色した上、レジのコードを切断したり、麻薬金庫を破壊し、預金通帳や麻薬には目もくれずただ現金のみを狙ったと推認される本件犯行を犯したとは考えにくいところである。

これらの諸事情を考慮するとき、妻と一緒に寝ている床を抜け出し、気づかれないように服装を整えて深夜外出し、犯行を終えたあと何食わぬ顔をして再び妻の眠る寝床に戻ってくるという行動を、当時二〇歳になったばかりの被告人が計画したと認めることは困難であること、また、経済的にも窮しておらず、平和な家庭生活を送っている被告人が、なぜに、犯行の時期、時間的な面で制約のある本件条件下を敢えて選択してまで犯行に及ばなければならないのか等、犯行の態様・動機の点において、被告人の犯行と認定するには、余りにも不自然であると言わなければならない。

五  結論

以上検討してきたところによると、本件指紋が本件現場の麻薬金庫又はその他の本件現場から採取したものであるとの証明が十分でなく、また、被告人のアリバイの主張を否定するに足りる証拠がなく、これに、本件犯行前後の被告人の生活関係、犯行の手口なども加えて考察すると被告人が本件窃盗未遂を犯したものであると認めることは困難である。そうして、他に被告人の犯行であることを認めるに足りる証拠がないから、本件公訴事実は、犯罪の証明がないことに帰し、刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 橋本勝四郎)

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